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「チュノ~推奴~」、史実との比較記事

4月から、アジアドラマチックTV So-net
放送される「チュノ~推奴~」 、
(邦題、そうなったみたいですね。)、
以前も少し史実とどう違うのか少し
ブログに書いたんですが、
詳しい記事が、また出ていました。

 ご参照当ブログ過去記事
“チュノ”、史実と違う部分も・・・? 


3月中に韓国での放送が終わってしまうので、
4月に、日本で放送が始まるのが
本当に楽しみです・・・(*^_^*)!!


以下、記事です。
翻訳機使用、一部意訳しています。

史実に関わる部分、
出来る限り漢字など調べましたが
間違っているかもしれません。
その点、ご了承くださいm(_ _)m。





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奴隷ハンティング・烙印・両班殺害…
'チュノ'、どこまで事実なのか
チュノハン・ジョンスチャン・ヒョクキム・ジソクns1

[ニューシス] 2010年03月07日(日)午前08:58

KBS 2TV水木ドラマ‘チュノ’が
30%を越える高い視聴率を記録中だ。

ドラマが人気を呼んで‘チュノ’の歴史的背景にも
関心が集まっている。
事実と虚構が混在するドラマだ。
奴婢に本当に烙印を押したのだろうか、
チュノ師は実存したか。
ドラマ関連気がかりなことに
韓国学中央研究員が答えた。

‘チュノ’中イ・デキル(チャン・ヒョク)と
チョン・ジホ(ソン・ドンイル)一党は専門チュノ師だ。
これらには、チュノが生計を維持するための手段だ。
ひいては分け前を固く取りまとめることが出来る
人生ロトだ。

18世紀に入って、逃走奴婢が急増した。
当時奴婢らは経済力が以前より向上したが
人格的差別待遇は相変わらずだった。

奴婢らは差別待遇と過重な身代金負担から
抜け出そうとして‘逃亡’を選択した。

奴婢らの逃亡が爆発的に増えるや、
奴婢所有主らはなくした奴婢を探そうと
積極的な方法を模索した。

韓国学資料にチュノ師関連具体的証拠はない。
だが奴婢を追うために
お金を与えて他の人を雇用したという事例は
確認することができる。

‘チュアンクプグクアン(推案及鞫案)’には
“今年8月19日にチュノで慶尚道ピョネに行った。
ピョネで女奴婢2人を売って旅費(路資)にした”、
“自身の家ではチュノに成り下がり
咸鏡道から江原道に向かった”
等の内容が出てくる。

専門職チュノ師が存在すると
断言する訳には行かないが、
これを職業としたチュノ師がある可能性を見せる
大きな題目だ。

チュノをするために奴婢らを雇用したが
これらがことをみな終える前に
その報酬で4、5人の奴婢を支給することを
要請しているという記録もある。

当時チュノに雇用された報酬が
相当したことを推察させる。

チュノを通じて、
多くの収入を上げることはできるが
義に徹することができなくて
呪われるという文も
探してみることができる。

ドラマ‘チュノ’に登場する一部奴婢らの
額、胸などには‘奴’や‘婢’の字が
刻まれている。
‘烙印を押される’という背筋が寒くなった話
そのままだ。

朝鮮時代にも烙印はあった。
しかし奴婢の表式ではなかった。
罪人におりる刑罰の中の一つであった。

朝鮮法典の‘経国大典’には、
盗んだ者の中でその罪が重い者に
‘盗’の字などを刻む
刺字型の話が出る。

供物を私的に盗んだ者に、
この刑罰をおろした事例は
‘朝鮮王朝実録’も時々伝えられている。

また1506年(燕山君12)には
逃亡した奴婢に‘逃奴’あるいは‘逃婢’を
刻むようにしろとの王命が下されて、
実際にそのような型が施行されることもした。

入れ墨を消す方法がなかった伝統社会で
刺字型は永遠に回復することはできない
苛酷な刑罰だった。

出来るだけ自制されて、
有名無実化されて、
1740年(英祖16)に廃止された。

逃亡奴婢に奴婢の烙印を押すのは
刑罰として一時存在することはあったが
なかなか施行されはしなかったと推定可能だ。

奴婢オッボク(コン・ヒョンジン)は
夜ごと残酷に奴婢所有主、両班を殺害する
隠密な組織に属している。
こういう組織が実際にあったのだろうか。

かたい儒教的身分秩序が揺れ始めた朝鮮末期には
こういう話の素材になるほどの事件が
多数発生した。

いわゆる‘殺主契’、‘剣契’等
社会的不満勢力の集いが現れたのだ。

‘殺主契’、‘剣契’は奴婢らが自身の
上典(奴婢の主人の意)を殺そうと
結成した組織だ。

ソウルを中心に組織されたのが特徴なのは
それだけ連帯しやすくて、
都心だと匿名性を維持しやすかったことと
考えられる。

人物中心の外史を記録した歴史の本‘朝野會通’には
1600年代中盤当時
“無頼輩が互いに集まって、係を作って、
殺掠界または赤銅界(?)または剣界などと称して…
避難民の財物を追いかけて行って
奪い取ったり時々人命を害することもした”
と描写した部分が出てくる。

奴婢、庶子などが組織した秘密結社は
自身の主人あるいは両班全体を対象に
テロを敢行したり財産略奪、
または婦女子強奪をした。

ソヒョン世子が仁祖によって毒殺されたという説は
歴史家らによって絶えず主張されている。

ドラマ‘チュノ’でもソヒョン世子が
毒殺されたことを暗示する部分が登場する。

ソヒョン世子は丙子胡乱以後、
弟の鳳林大君と共に清国の人質になって
瀋陽に連れて行かれた。

8年の間の人質生活から抜け出して
1645年(仁祖23) 2月1日朝鮮に帰国した。

しかし漢陽に到着してからいくらも経たない
4月26日、何日か前発病したマラリアが重くなって
死亡した。

元気だった世子が、突然マラリアにかかって
亡くなったという事実によって、
世子毒殺説が広がることになった。

毒殺説を後押しする強い情況証拠は
‘朝鮮王朝実録’にある。

実録記録によれば、ソヒョン世子のマラリアは
1645年4月23日発病して、
3日目の26日急死する程悪化した。

その上、死亡以後には
薬品に中毒したような症状まで現れて
毒殺という疑問が提起されたのだ。

そのほかにも多様な情況らが実録に載っている。

だが他の記録らを探してみれば,
毒殺でないという解釈も可能だ。

‘承政院日記’は世子が帰国する前から
すでに元気な状態ではなかったと伝える。

帰国前後で世子の病気と関連した文が
何度も出てきて、
実録のように元気だった世子が
突然急死したのではないということだ。

‘ソヒョン世子病症と治療に対する研究’で
キム・ジョンドクは
‘瀋陽日記’、‘乙酉東宮日記’等を分析して
ソヒョン世子が病死したと主張する。

世子が清国に連れて行かれた以後、
苦難によって疝症を得て完治しなかった状態だったが
鬱火病があるところに寒気と接触して、
疝症が再発した。

帰国後、医員がこれをマラリアと間違って診断して
治療したせいで死亡に達したということだ。

韓国学中央研究員は、仁祖がソヒョン世子を
毒殺する十分な動機はあったが、
世子の病状がすでに深刻で、
実際に毒殺する必要はなかったことから見る。

ソヒョン世子の死を明白な毒殺だと断定する
具体的証拠がないということだ。

健康が良くない状態で、
引き続き治療を受けている間
適切な治療を受けることができなくて
結局死亡に達したとし
‘医療事故’が死因だと整理した。

仁祖がソヒョン世子を毒殺したという噂で
民心が荒々しかった時、
済州道に島流しされたソヒョン世子の
三男中末っ子ソクキョン(キム・ジンウ)だけ
生き残った。

ドラマでは朝鮮最高の武士であり
ソヒョン世子の忠僕だったソン・テホ(オ・ジホ)が
王孫を脱出させる。

実際仁祖は、二人の孫が島流し先で
相次いで死ぬや、
島流し先でこれらを世話した内人らを捉えてきて
罪を問うことをした。

これと共に他の内人と召使いを
済州道に送って、三番目ソクキョンを
より一層よく見守るようにした。

だが仁祖が孫に愛情を見せたことではないということが
専門家の見解だ。

韓国学中央研究員ヤン・チャンジン室長は
“この記録だけでは愛情を見せたと話すのが
難しい。
もし本当に愛したとすれば、
四才のソクキョンを島流しに
送ってはいないこと”
としながら
“政治的な行動だった可能性が大きい”
と解釈した。

ソクキョンは孝宗の代に達して、
済州から南海、江華島と
流配地を移って、
長い間島流しの暮らしをして
1656年(孝宗7)に解放された。

以後の名前をイ・フィと改名して
1659年(孝宗10)閏3月、
慶安君として封ぜられた。

ソヒョン世子の子孫らは、
皆君と郡主になった。

このような事実は現在伝えられる王室家系図
‘璿源系譜紀略’と‘敦寧譜牒’でも
確認することができる。

イ・フィはホ・ファクの娘と婚姻して、
イ・フン(臨昌君)とイ・ヨプ(臨城君)、
二人の息子を持った。

以後1665年(顕宗6)9月、
温泉に入浴しに行って病気になり
生を終えた。

慶安君の墓は京畿高陽市徳陽区大慈洞山65-2に
ある。
その下にある長男臨昌君の墓とともに
高陽市郷土遺跡第5号だ。

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ぎりぎりですね~
ドラマにするからには何かしらの「風味付け」が必要なのでしょうが、それをぎりぎりどこまで味付けるかが難しいでしょうね。
日本でも昨年の「天地人」が事実とかなり違っていて賛否両論でしたし。
難しいこと言わずにドラマとして楽しめばいいやe-266くらいがいいんでしょうかね(笑)
[ 2010/03/08 00:37 ] [ 編集 ]
かずきち様へ
> 日本でも昨年の「天地人」が事実とかなり違っていて賛否両論でしたし。

そうなんですか・・・!
全く見てなかったし、
知りませんでした・・・(^_^;)。

実在の人物について、史実と違ったりすると
厳しい目もあるのかもしれませんね・・・。

チュノの場合は、主人公などは
架空の人物のようだし、
そういう制度があったかどうかも
おっしゃるようにギリギリ、
無かったとも言えないみたいなので、
その点ではあまり批判的なことは
言われないかもしれないですね・・・。

それにしても、史実に基づく資料なども
少ないようなのに、
こういうお話を作る作家さんの想像力、
ホントにすごいなと思います・・・!!
[ 2010/03/08 01:02 ] [ 編集 ]
史実も気になりますよね。楽しく比べたいですね。
こんにちは
チュノは、我が家ではたぶん、BS放送にならないと、見られないと思うのですが、楽しみに待ってます(^^)。
それにしても、チュノでは、昭顕世子の息子さんはどうなるのか、気になります…というのは、最強チルでも、昭顕世子の息子さんの話が出てきますし…(これ以上しゃべって、もしや、チルのねたばれになってはいけないので、控えますね)。でも、チュノにもチルにも出てくる、その息子さん、史実的にはどうだったのか、ほんとにほんとに、気になってたんです…!!
こちらのご記事を拝見して、成長して妻子もいたと分かって、ちょっと、ほっとしました。
ありがとうございます。

[ 2010/03/08 11:14 ] [ 編集 ]
まい様へ
こんにちは(*^_^*)

> チュノは、我が家ではたぶん、BS放送にならないと、見られないと思うのですが、楽しみに待ってます(^^)。

BSでも絶対放送されますよね・・・!
これだけ今韓国で話題ですし・・・。
私もスカパーはただのアナログで見ているだけなので
早くBSデジタルでも見たいです・・・
ものすごく映像が綺麗なので・・・♪

チルは、今、再放送されているのを
録画だけして見ていない状態です・・・(T_T)。

同じ時代なのは知ってたんですが、
まいさんのお話をお聞きして、
早く全部通して見たくなりました・・・。

まいさんが、世子の息子さんが
気になっておられたお気持ち、
分かります~・・・!!

朝鮮王朝のことで、あまり日本で
それが分かる本などもないので
もどかしかったりするんですよね・・・。

私も、明成皇后を見ていた時は
いろいろと、
実際史実はどうだったのかとか、
気になりました・・・。


仁祖や昭顕(ソヒョン)世子の時代のドラマは、
結構ありますよね・・・。

イルジメもそうですしね・・・。

見比べるのも楽しいですよね(*^_^*)。
[ 2010/03/08 11:34 ] [ 編集 ]
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